むかしむかし、湯浅の人がみそ作りを始めました。そのみそはたいそう美味しく、今の世まで伝わりました。

History

ここ湯浅町は、古くから金山寺みそが作られ続けている尊き伝統を受け継ぐ町です。

鎌倉時代、禅僧である覚心が宋(中国)に渡り厳しい修行を積むかたわら、浙江省径山寺にて径山寺みそ(現在の金山寺みそ)の製法を習得。帰国後、紀伊由良に興国寺を建立しその製法を伝授したと伝えられています。

自給自足の禅寺を中心に、栄養価の高い大豆発酵食品として広まり、また夏に収穫された野菜を冬に食べられるようにと漬け込んだ保存食として自家生産されていました。

後に庶民の間に、飯(紀州においては茶粥)との相性がよく、野菜と一緒になった重宝なおかずとして広まっていきます。

我が町湯浅の温暖な気候がほどよく麹の発酵を促し、豊富な地下水が、みそづくりに適していたことは、湯浅町に金山寺みそづくりが定着する大きな要因でした。

この金山寺みそを醸造する過程できる樽の上澄みにできた何とも美味なる汁を元に、みそづくりの副産物としてできたのが「醤油」です。ここ湯浅町は日本の醤油発祥の地といわれています。

このことからも、金山寺みそのもたらした日本の食への影響は大変大きいものであったと考えられます。

仏教の教えと共に、いにしえから伝わる変わらぬ製法で作られる金山寺みそ。垣内みそ店では長きに渡り磨き上げてきた熟練の技をこれからも後世に伝え続けて参ります。

  • 鎌倉時代中国から僧侶が伝えた

    時は1249年鎌倉時代の初め、禅僧であった覚心が高野山にて密教を学んだ後に、宋(中国)に渡り、浙江省径山寺にて修行を積みました。そのかたわら径山寺みそ(現在の金山寺みそ)の製法を習得し、5年後に帰国。湯浅町の近隣、紀伊由良に興国寺を建立し、径山寺味噌の製法を伝授したのが始まりと伝えられています。

  • 鎌倉時代中国から僧侶が伝えた

    湯浅町で金山寺みその製法が伝承されている理由の一つに、豊かな「水」があります。町内を山田川、広川といった川が流れており、元々地下水が大変豊富でした。またその水質も大変良いものだったため、金山寺みその製造に適していました。今も昔も湯浅の町を潤し続ける水は、みそづくりにはなくてはならないものです。

  • 鎌倉時代中国から僧侶が伝えた

    金山寺みその製法は、興国寺から、自給自足を行う禅寺を中心に広まっていきました。米や大豆、麦、夏の野菜を、じっくりと時間をかけて発酵させる金山寺味噌は、優秀な栄養食、健康食として活用されました。その役割は食があふれる現代においても変わることはありません。